師匠シリーズ

師匠シリーズ 毒 前編2/5 マリファナとハッシッシを少し

2 マリファナとハッシッシを少し

高谷所長と会ったその足で、僕らは小川調査事務所に向かった。今日は重要な依頼があるのだ。
「ギリギリになっちまったな」
早足で歩く師匠のうしろで、僕の足取りは重かった。なにしろ相手がヤクザだからだ。
「なんだ、元気がないな。嫌なら今日は、お前はいなくてもいいんだぞ」
「そういうわけにはいかないですよ」
「こっちは別にいいけどな」
あー、そうですかい。だったら、意地でもくっついていくけどね。
雑居ビルが近づき、喫茶店ボストンの看板が見えてくると、僕は周囲に怪しい車の影がないか見回した。やつらはたいてい、黒塗りのゴツイ車に乗ってくる。だが、いまのところは、それらしい車は見当たらない。
ビルの階段をのぼり、3階にある小川調査事務所のドアを開ける。
「遅かったな。もうじき来るってさ」
事務所にいたのは、小川所長だけだった。今日は服部さんはいないようだ。先日服部さんにスパイ疑惑が発生したばかりなので、いたらいたで気まずいところだ。
少しして、ドアをノックする音がした。外から派手な車の音は聞こえなかった。
「どうぞ」
入ってきたのは、黒いダブルのスーツを着た男だった。青白い顔に、眼鏡をかけている。このところやけに因縁深い、石田組の若頭補佐、松浦だ。黒い革製の鞄を小脇に抱えている。
「ようやく依頼を受ける気になりましたか」
松浦はカツカツ、と姿勢よく歩いて、事務所の所長の了解もとらずに、来客用のソファに腰掛けた。
「1人なのか」
師匠はその向かいにドカッと腰を下ろす。
「なにしろうちはいま、忙しくてね」
松浦は足を組んだまま答える。僕は、昨日の新聞で見た、暴力団の抗争の記事を思い出した。市内にある暴力団・立光会の2次団体の組事務所の玄関に、銃弾が打ち込まれたと書いてあった。先日、小川所長から、広域暴力団菱川組と立光会の暗闘の話を聞かされたばかりだ。自分には関係のないニュースだと、読み飛ばすような気には、とてもなれなかった。
「そのお忙しいのにわざわざ出向いていただきまして、ありがたいですねぇ。なんの依頼なんだよ」
師匠はあいかわらず、松浦への口の利き方をあらためない。横で聞いている僕は、多少慣れてきたとはいえ、まだヒヤヒヤする。
松浦はそばで立ったままの小川所長をチラリと見た。所長が口を開く。
「この件は中岡に任せています。受けたいか受けたくないかは、まず彼女が判断します。そのうえで、この事務所の責任者として、GOか、ストップをかけるか、決定させてもらいます」
中岡は、師匠の調査員としての偽名だ。ただ、仁科さんのように、親しくなってから遠慮なく本名で呼んでいる人もいて、なかば公然の建前のようになっている面もある。松浦も師匠の本名を知っているはずだが、そこではなにも言わなかった。
僕は小川所長が立っているので、師匠の隣に座っていいものか迷った。でも、少しでもなにかの弾除けになれば、という気持ちで、そっと隣に腰掛ける。いいんだよ。助手なんだから。と、自分に言い聞かせて。
「忙しいのでね。簡単に説明させてもらう」
松浦は鞄から小さな瓶を取り出した。それをソファの前のテーブルに置いた。
「なんだこれ」
素手で持っていた松浦の手つきから、危険物ではないと思ったのか、師匠はすぐにそれを手に取った。
透明なガラスの小瓶だ。市販の風邪薬の錠剤の入った瓶くらいの大きさだった。瓶は透明で、なんのラベルもない。白いフタも同様だった。なかに液体が入っているが、こちらも無色透明だ。ただの水のように見えたが、なにかの薬だろうか。
「これは?」
「クスリですよ。いまこの街の若者の間で流行っている」
「クスリ?」
師匠はもう一度瓶を上に掲げて、天井の照明に透かすようにして見ていたが、首をかしげてテーブルに戻した。僕もそれを持ってみたが、特に気がついたところはなかった。ただの透明な液体の入っている瓶だ。
「ドラッグなのか?」
師匠のその言葉を聞いて、僕はギョッとした。思わず瓶をテーブルに置く。ドラッグなんて、そんな怖いもの、一度もお目にかかったことがない。
「わかりません。それを調べてもらうのが、今回の依頼です」
「はあ? 私にわかるわけないだろ。お前らが専門家だろうが」
師匠の言葉に、松浦の眉がピクリと動いた。なにか気分を害した気配だった。
「8代目立光会は、クスリはご法度ですよ。シャブもマリファナも、もちろんヘロインやコカインもです」
「麻薬の売買に関わってないってのか。じゃあだれがこの街で、麻薬を売ってんだよ」
「ほかの小さな組の連中ですよ。まともなシノギがないから、クスリなんかに手を出すんです」
「ヤクザにまともなシノギなんて、あるもんか」
「ちょっと、師匠」
発言があまりに挑発的になりすぎていたので、慌てて止めた。松浦は、10秒ほど黙ってから、口を開いた。表情を変えずに。
「ほかにも、暴走族上がりの連中が半グレを気取って、覚醒剤の取引に手を出しているのもあります。最近では外国人も少し増えてきたようです。中国人や、イラン人などです。いずれも、小さな組織ですから、大口のブローカーと直接取引ができずに、あいだに何件も仲介が入って、粗利は少ないようですね。覚醒剤は1パケの相場が1万円、ポンプ付きで1万3千円。これが昔から変わっていません。だから儲けを出したい半グレどもなんかは、混ぜ物をしてカサ増ししているという噂です。だから、質は外国人のモノのほうがいいとか。マリファナ、つまり大麻も繁華街のクラブなどで、手に入るらしい。コカインやヘロインはほとんど取引がありません。単価が高いのでね。小さな組織ではなかなか捌きにくいようです。それから最近麻薬に指定されたLSDやMDMAといった、いわゆるサイケデリックス、幻覚系のクスリも増えてきています。やったことは?」
松浦にそう訊かれて、師匠は鼻白んだ。
「ねぇよ、そんなもん」
「そうですか」
師匠に続いて、僕も首を振る。
「嘘。ホントはあるけど」
「あるのかよ」
思わずツッコんでしまった。
「昔、マリファナとハッシッシを少しな。興味本位でだよ。興味本位。でもああいうの、私あんまり効かないんだよ。体質でな。それからはやってない」
師匠は体質で、というところを、わざとゆっくりと言った。
「なるほど。賢明ですね。それから、最近では欧米でデザイナーズドラッグとか、合法ドラッグなんて呼ばれるクスリが流行っているようです。ハーバルエクスタシーなどがそうです。まだこの街には入っていませんが、いずれやってくるでしょうね。植物などに由来するナチュラル系とは違って、化学物質を合成して作るケミカル系です。これらは、ハーブなどに直接、化学物質をまぶして流通させるものや、錠剤などです」
「シノギにしてないのに、ずいぶん詳しいじゃないか。ホントは、シノいじゃってるんじゃないのか」
「この業界では、親がご法度といえば、ご法度です。うちでは、先代のころからね」
松浦は静かに言ったが、穏やかなかに滲み出る迫力を感じたのか、師匠は黙った。
「なにごとも、調べるのが性分でね」
「……で、若者のあいだに流行ってるっていう、これは?」
師匠がアゴで、テーブルの上の小瓶を指し示す。
「最近になって、妙なクスリが出回っているという噂がありましてね。調べてみても、ほかの組や、半グレ、外国人なども関わっていないようなのです。どうも市内の高校生や大学生などのあいだでだけ、密かに出回っているらしい。今後だれかの大きなシノギになりそうなら、警戒しないといけないので、入手してみたんですが、モノがね、おかしいんですよ」
「おかしい、とは?」
「フタを開けてみてください」
「大丈夫なのか」
そんな前振りをされて、師匠はちょっと嫌そうに眉をしかめた。
「大丈夫です。どうぞ」
「気化するようなやつじゃないだろうな」
そう言いながら、師匠は僕を小突く。開けろ、ということらしい。
ええー、と怖気づいたが、師匠に睨まれて仕方なく、おっかなびっくり、小瓶を手に取った。
まあ、中身を知っているらしい松浦もすぐ目の前にいるんだから、開けてもヤバイものじゃないだろう。そう自分に言い聞かせて、僕はフタをひねった。
キュッ、という小さな音を立てて、フタは間単に開いた。外して、脇に置く。師匠が僕の手のなかの小瓶の口を覗き込んで、フンフンと匂いをかいだ。
「うーん?」と小首をかしげる。
僕もつられて、顔を近づけて匂いをかいだが特になにも匂ってこなかった。
「液体状のドラッグといえば、LSDのリキッドやケタミン、一部のデザイナーズドラッグなどがありますが、これはそのどれとも違う。覚醒剤などは、液体で流通させることもありますが、これは小売の状態でこうなのです。ちょっと、貸してみてください」
松浦は小瓶を手に取った。そして、僕らの前で、無造作にそれを口元にやると、一息に飲んでしまった。
「あっ」
師匠と僕と、少し離れて見ていた小川所長の声が、3つ重なった。
「おい、大丈夫なのか」
松浦はまったく表情を変えず、空になった小瓶をテーブルに置いた。
「ええ。なんともありません」
そして、鞄からもう1つ、小瓶を取り出した。同じ物のようだ。師匠はそれを受け取ると、一通り観察してからフタを取った。匂いをかいでから、瓶の口に小指を入れる。指先についた液体を目に近づけてじっと見てから、ペロリと舐めた。
「ただの……水?」
え? 僕も小瓶を借りて、同じようにして舐めた。無味無臭。ただの水だ。水道水の消毒液臭さもまったく感じない。ミネラルウォーターのようだ。
「どういうことなんだ」
「私も困惑しているんですよ。なぜただの水が、クスリだといって、密かに売買されているのか」
「みんな騙されてるってことなのか」
「ただの水だとわかっていて、こんなに口コミで出回るとは思えない。若者たちは、これをただの水だと思っていないようなのです」
「だって水じゃないか。あれか? イオンが入ってるとか、タキオンが頑張ってるとか、そういうやつか」
「いえ。噂ですがね、これを飲むと、『夢が変わる』と言われているようです」
「夢が、変わる?」
それを聞いて、師匠の表情が変わった。面白いものに出会ったときの顔だ。僕もその言葉に興味を覚えた。
「わざわざあなたに依頼しにきた理由が、わかってもらえましたか」
松浦は、かすかに笑みを漏らした。
「いままでに見たことがなかったような夢を、見るようになるそうです」
「あんた、飲んだのは、いまがはじめてじゃないよな。夢が、変わったのか」
「さて……。もともと夢はあまり見ない性質でね」
首を振った松浦を、信用できないという目で見たあと、師匠は小瓶を手に取った。
「いま手元にはあと3本しかありません。2本を、この調査に提供しましょう」
松浦が、もう1本を鞄から取り出してテーブルに置いた。
「どこで手に入れたんだ、これは。いったいだれが売っているんだ」
「これは傘下の組の若い衆が、暴走族の後輩からもらったものです。その後輩は、噂を聞いて買いに行ったら、実際に買えた、と言っているようです。繁華街の白町(しろまち)の通りで、夜にどこかの横道に入ると、仮面をつけた人物がいて、千円札を出すと、この小瓶1本と引き換えてくれるとか」
「仮面?」
「仮面ですって?」
僕と師匠の声が被る。ここでその単語が出てくるとは思わなかった。
「白くて、のっぺりした仮面か?」
「さあ。噂では、とにかくなにかの仮面を被っていて、素顔を見せない売人なのだそうです。我々も探しましたが、そういうときに限って、姿を現さない。用心深いのか、なんなのか……」
「千円てのは、安いのか」
「安いでしょうね。ドラッグとしては破格に。いまどき、売人から買うと、シンナーでももっとします。ただ、元がただの水だとすると、実質、瓶代を引いた残りが丸々利益ですからね。ちなみに瓶は、大量に出回っている市販品です。その筋からたどるのは難しいでしょう」
「名前はあるのか、これに」
「若者のあいだでは、Cと呼ばれています。ABCのCです。由来ははっきりしません」
「C……」
松浦は、手のなかの小瓶を見つめている師匠を見て、「飲んでみますか」と声をかけた。
「いや、とりあえず調べてみる」
「では、引き受けてくれるのですね」
「ああ。だけど、どこまでわかればいいんだ? この中身の正体か、それとも売ってる人間まで突き止めるのか」
「一応両方に成功報酬を設定しましょう。その2つは、結局セットになりそうな気がしますがね」
師匠が小川所長のほうを見た。所長は頷いて返す。どうやら、GOのようだ。
「OK。じゃあ、さっそく調べるよ。おい、いくぞ」
師匠は小瓶を2つ手に取ると、立ち上がって、僕に向かってアゴをしゃくった。
「あ、はい」
「この成功報酬の料金は……」
そう言いかけた松浦に、師匠は、「あとは所長と決めてくれ。私は、正規のバイト代しか受け取らない」と言い放った。
「前回のことを根に持っているのですか」
松浦は挑発的な言葉を投げつけてきた。心霊写真の事件で、リュックサックに大金をねじ込まれていたときのことを言っているのだ。
「ふん」
鼻息で返事をして、師匠はドアに向かった。僕もあとを追いかける。
「どうして引き受ける気になったんです」
背中に、松浦の言葉がかけられる。師匠は振り返らずに答えた。
「さあな。ただの気まぐれだ」
所長と松浦を残して、僕らは事務所をあとにした。階段を下りていく師匠の背中を見ながら、僕は複雑な気持ちになっていた。
師匠に気まぐれを起こさせたのは、松浦というヤクザの持っている、不思議な魅力のせいではないか、という気がしていた。心霊写真の事件のときも、結果的にやつは師匠好みの、オカルティックな謎を持ち込んできた。即物的な暴力の世界に身をおきながら、松浦は、どこか師匠と同じ価値観を持っているように感じる。
『私が見ている世界は、あなたの見ている世界と似ているだろうか』
いつか、松浦の言った言葉が脳裏をかすめる。そしてそれを思い出してしまった僕は、苛立ちを覚えている自分に気づく。
あんなやつに……。
師匠のかつての相棒である、黒谷夏雄に感じる嫉妬と、同じものが胸にわいている。自分がなに者なのか、証明をしなくては、同じ土俵にも上がれない。そんな気がして、視界が暗くなる。これは、良くない感情なのだろう。たぶん。僕は苛立ちが、足音になるのを聞いていた。
ビルから出ると、師匠が急に立ち止まった。向かいのビルと電信柱の陰のところに、だれかいる。
「おい。なんの用だ」
師匠が声をかける。その男は、煙草を右手の指に挟みながら現れた。あいつだ。松浦の部下で、僕をビルの空き部屋に連れ込んで、暴行した男。思わず背筋に緊張が走る。
「いやあ、松浦の兄貴の付き人ですよ」
茶髪の男は、前歯の抜けた顔を歪めて、ニヤニヤと笑っている。そして、つい、と煙草を口に持っていく。
見回したが、やはり車はない。運転手で来たわけではなさそうだった。
「お前、松浦を裏切ったんだろ」
僕は恐怖の記憶を振り払って、そいつに言葉を投げた。
「ああん? 裏切ってるのは、あいつのほうだよ」
茶髪は、ビルを見上げて言う。
「このクソ忙しいときに、なにやら、変なお遊びばかりしやがって」
お遊び……。こいつも、依頼のことを知っているのか。僕は師匠をチラリと見た。
「ま、いまのところは、好きにさせておきますがね」
茶髪は、ペッ、と火のついたままの煙草を吐き捨てる。
「素人さんが、こっちのことにあんまり首を突っ込まないことですよ。これは、忠告です」
「なにが忠告だ。ヤクザに脅されましたって、警察にチクるぞ」
僕の必死の抗弁を、男は笑って、意に介さないようだった。
「じゃあな、ボウヤとお嬢さん。俺は、西沢ってんだ。まあ、いずれ、この名前は変わるがね」
ククク、と笑いながら、男は歩き出し、去っていった。師匠はその背中を見ながら、毒づく。
「なにが付き人だ。松浦を監視してたのか、あの歯抜け野郎」
「あいつ、本当に危ないやつですよ」
散々殴られた僕は、本心で師匠に言った。ナイフを背中につきつけられて、師匠を呼び出されそうになったのだ。夏雄が助けに来てくれなかったら、どうなっていたか。思い返すと、ゾッとする。
「ヤクザは、嫌いだ」
師匠は吐き捨てるようにそう言った。

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